2012年7月28日土曜日

パンテオン


紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの良き相棒として帝国統治に尽力したアグリッパにより万神殿として建設。
その後の火災により当時の建物は消失してしまいますが、紀元128年にローマ五賢帝の1人であるハドリアヌス帝により、アグリッパへの敬意を表して再建されたのが、現在も残るこの建物です。
驚異的な技術の高さ、完成度の素晴らしさによってか、その後の激動の歴史の中でも、他の古代遺跡のように破壊の憂き目に遭うことなく、今日まで建設当初と変わりない姿を保っているそうです。



パンテオンは、古代遺跡としては珍しく、ローマ中心部の繁華街の真っ只中に、お店やレストランなどに囲まれて建っているため、初めて訪れる時には、意外なロケーションでの対面にびっくりします。

先日アメリカから観光に訪れた知人は、街中をパンテオンを探して歩きまわり、通行人に「パンテオンはどこですか?」と聞いたら、いきなりすぐそばの建物を指さされて、その時まで気づかなかったことにびっくりしたそうです。



中に入ると、色とりどりの石材で装飾された賑やかさに、これも外観からは想像できない意外性があり、なんだかアットホームなムードを感じてしまいます。

天井を見上げる。

主祭壇

パンテオン内には、中世からの著名な人物のお墓が多数あります。
中でも、一番有名なのが、ルネッサンスを代表する芸術家、ラファエロのこの墓所でしょうか。

ラファエロの墓
歴史に残る多数の名作を輩出したラファエロですが、享年37歳の若さで他界し、彼の婚約者であったと言われるMaria Bibbienaの墓も彼の隣にあります。


ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓

上の写真は、イタリア全土が統一された1861年、統一王国初代国王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世のお墓です。

そして、それと向い合って建っているのが、2代目国王ウンベルト1世とその妻マルゲリータ王妃のお墓。

ウンベルト1世の墓
そして、3代目国王は。。。?

前出のSanta Maria degli Angeli教会にて、1896年に盛大な結婚式を上げた3代目国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世ですが、その後の激動の歴史にもまれ、第1次世界大戦、ファシズムの台頭、そして第2次世界大戦の後、イタリアは王政から共和制へ移行する流れとなり、1946年の国民投票により王政廃止が決定、国王一家は国外追放処分となり、亡命先のエジプトにて生涯を終えます。




夜のパンテオンは美しくライトアップされ、昼の訪問のあとに、夕食後の散歩などに訪れるとまた違った姿を見ることができます。

パンテオンのあるロトンダ広場の夜は、昼間以上の賑わいです。
オベスクの周りに座ってお喋りを楽しむ地元民、大道芸や辻音楽師の路上パフォーマンス、そして広場を取り囲むカフェやレストランは大賑わいです。



2007年パンテオン前のカフェにて。