2012年12月31日月曜日

イタリア式、お歳暮

サン・ピエトロ広場
今年のローマは11月頃からかなり冷え込んでいますが、クリスマス前になって晴天が戻ってきました。
寒いながらも、透き通るような青空が広がっています。
スペイン階段

さて、今日の話題は「お歳暮」です。

かつて経済成長期の日本では、年末といえば社長さんの家の玄関ホールには新巻鮭やハムの贈り物が山積みといったイメージでしたが、最近ではだんだんと縮小されつつあるようです。
一方、イタリアでは、意外にもこの習慣はまだまだ健在です。
むしろ、お国柄もあってか、日本のそれよりもだいぶ派手(!)です。


上の写真は、典型的なタイプのお歳暮セット。
工務店を経営する知人が、得意先からもらった物です。
大きなバスケットの中に、クリスマスならではの食べ物、シャンパンなどが盛りだくさんに詰まっていて、重量は軽く10キロを超えてたりします。
食べ物の組み合わせは、スイーツ中心であったり、食事系が中心であったり、サイズ、量ともに様々なバリエーションがあります。

スイーツ系バスケットの一般的な中身
* パネットーネ(1キロサイズの巨大パンケーキ)
* スプマンテ(発泡性ワイン)
* トローネ(甘くて固いヌガー)
* ビスコッティ(固焼きビスケット)
* パンフォルテ(固焼きケーキ)
* チョコレート
* デザートワイン

ごちそう系バスケットの中身
* ザンポーネ(ブタの前足詰めソーセージ)
* パスタ
* パスタソース
* 乾燥ポルチーニ茸
*パルミッジャーノチーズ

とにかく盛りだくさんで、この時期にしか食べられない季節限定スイーツなどがギッシリと入っており、全部取り出したかと思いきや、詰め物のフワフワの中に小さなチョコレート包みが潜んでいたりと、子供のようにワクワクしてしまいます。

イタリアのクリスマススイーツとして、絶対に欠かせないのが、下の写真のパネットーネ。
直径25センチくらいある大型カップケーキといったかんじで、モチっとした生地の中にはレーズンやドライフルーツがたっぷり入っています。
毎年11月中頃から売り出し始めるので、ティータイムのおやつに少しずつ切り取って食べていきます。

パネットーネ

 このパネットーネは、職場の上司から従業員へクリスマス休暇前の贈り物として、スプマンテとセットで手渡されることも度々あるようです。
下の写真がそのギフトボックス。
かなり重たい贈り物で持ち帰るのが大変ですが、なんとも心温まります。



 そして、クリスマスの贈り物(ごちそう系)の代表格がザンポーネ。
私はイタリアに来て初めてこれを見た時には、かなりビックリしました。


ブタの前足の皮にソーセージの中身を詰め込んだ、という表現でよいかと思います。
前足の骨はすっかり取り除かれているので、あくまでもデコレーション的効果を狙った物と思われますが、このセンスはちょっと難解なような。。。

一応、店頭では小ぎれいに真空パックされた物が化粧箱に入って、贈り物としての体裁を保っています。
ザンポーネ、スーパーのチラシより。

イタリアのお歳暮セットの良い所は、決して高価ではないけれど、みんなの大好物が玉手箱のようにギッシリつまっていること。
受け取った人、家族のみんなも思わず笑顔が広がります。
価格や体裁にこだわるのではなく、間違いなくみんなが喜ぶ暖かい贈り物選びのセンスは、私達も学ぶべきところがあるかと思います。


2012年12月19日水曜日

San Vitale 聖堂

クリスマスの買い物客で賑わうNazionale通り。
立ち並ぶ商店の間に、ふと、半分地中に埋まった窮屈そうな姿の、不思議な教会が目に留まります。
見るからに古そうな外観に惹かれて、階段を降りて中へ入ってみました。

道路から見た外観

Basilica San Vitale

4世紀に建立された、初期キリスト教聖堂。
402年に教皇イノケンティウスにより建築され、412年に聖Vitaleに捧げられる。
その後、1475年のジュビリー祭のために、教皇シクトゥス4世による大規模な改修工事が行われ、現在の姿に至る。
1859年にNazionale通りが建設された際に、路面から下りる階段が取り付けられた。



現在の地上からは10メートル程下がったところが教会の地盤になっています。
1500年ほどの間に、土石の堆積などにより地上面はずいぶん上がってしまったのですね。

入口の脇には、可愛らしいクリスマスツリーが飾られていました。

そして、入口ドアには、思わず目を見張るような精巧な浮き彫りがビッシリと施されています。
このドアは17世紀になってから取り付けられた物とのこと。
かなりのお値打ち感があります。

 扉を開けて、中へ入ると、屋外の日光とのコントラストのせいか、真っ暗で目が慣れるのに時間がかかります。

あまりの暗さに写真がよく写らないため、Webで拝借した内部写真が下のものです。


訪れた日は、表通りのクリスマスの賑わいとは対照的に、聖堂内には男性が1人座っているだけで、とても落ち着いたムードでした。
見学中は、ヴィヴァルディのマンドリン演奏による協奏曲が流れており、まるで中世にタイムスリップしたかのようです。

12月ということで、聖堂中央にはプレセピオ(キリスト誕生の場面を再現したドールハウス)が飾られていました。

 中央の飼い葉桶はカラッポでまだキリストの姿はありません。
キリスト誕生の24日夜になると、さりげなく乳児の人形が設置されます。


ローマは毎年12月になると、地元民はもちろん海外からのショッピング客で大賑わいです。
そんなショッピング街にも、教会はローマのいたる所に必ずあります。
入場は自由なので、気に入った教会を見かけたら、思い切ってドアを押し開け、しばらく聖堂内に座って、買い物熱で高ぶった心を鎮める という利用法(?)もありかと思います。


Basilica San Vitale
Via Nazionale 119

2012年11月24日土曜日

MAXXI (ローマのZaha Hadid 建築)

東京の新国立競技場の建て替え計画デザインコンペで見事に採用が決定した、イラク出身の女性建築家ザハ・ハディド。
彼女の代表作品の1つが、ここローマにも存在します。

場所はローマ中心北部。
Foro Italico(かつてムッソリーニが建設した近代スポーツエリア)、そして以前に当ブログで紹介したParco della Musica にほど近い緑の多い文化エリアに位置します。

2010年5月にオープンした、「MAXXI」というこの美術館の名前、何かの記号のような不思議な印象を受けます。

M = Museum
A = Art
XII = 21st Century

つまり「21世紀美術館」という意味になります。

古代遺跡やルネサンス芸術で名高いローマとしては珍しく、現代の作品を展示する美術館とのこと、今後の展開が期待されます。


MAXXIへは、地下鉄A線フラミニオ駅からトラム2番線の利用が便利です。
乗車してから7分くらい、右にラグビー場が見えてきたあたりで下車します。

話は横道に反れますが、美術館の手前に、思わず目をみはるほどに美しい教会が建っていました。


 外観を見る限り、「真実の口」のあるサンタ・マリア・コスメディアン教会とよく似た造りで、ロマネスク様式の見事な鐘楼、そして外壁上部のモザイク画が輝いています。
残念ながら一般には公開されていないようで、門が固く閉ざされ、教会の名前すら識別することができませんでした。

さて、今日の本命であるMAXXIは、その教会のすぐトナリです。




巨大建築だけに、実物を前にすると、全体像を把握するのがなかなか難しいです。
大胆な空間構成に大きなパワーのようなものを感じます。

エントランス
建物入口には、建築パワーに負けないほどの個性的なルーフが取り付けられていました。
素材は麦藁。
おそらく展覧会に合わせた期間限定だと思われます。

インフォメーション
ホール階段
チケット売り場
 建物の外観、そして内部にも独特のリズム、そして非凡なバランス感覚が発揮されています。
無機質なコンクリート仕上げにモノトーンカラーで全てが統一された中に吊り下がる一見何の機能性もない赤いパイプがアクセントとなって空間を引き締めます。
従来の博物館の典型である、箱型の展示室が連なる室内配置とは、発想の原点からして全く違うようです。
これだけの複雑の空間構成をバランス良くまとめ上げるZaha Hadid は、やはり天才だと思います。

オープン時のインタビューで彼女は「このプロジェクトはまだ未完成である。」というような事を言っていましたが、 この室内の巨大な吹き抜けや変化に富んだ壁面を利用して、どのように作品を展示していくのか、アーティストにとっても自分の作品を活かす最高の舞台装置としてこの空間を最大限に活用する手腕を試される、手ゴワイ美術館ではないでしょうか。


 再び建物の外に出ると、中庭に無造作に置かれた椅子に座って、何をするともなしに建物をぼんやりと見つめて寛ぐ、おそらく地元民(?)と思われる人達がけっこういることに気づきました。
一見、超難解なアート建築かと思いきや、近隣の人々の憩いの場として町に溶け込んでいる様子はなんとも微笑ましいです。


新国立競技場計画案
 上の写真が、建設が決定した新国立競技場のデザインです。
完成は2019年とのこと、東京都が招致を目指す2020年オリンピックのメイン会場の予定されています。

実現するのが大変困難と言われているザハ・ハディド建築。
日本の素晴らしいテクノロジー力を発揮して見事に完成させ、世界に誇るランドマークとなる日が楽しみです。


MAXXI
所在地: Via Guido Reni 4, Roma
開館時間: Tue-Sun 11:00-19:00, Sat 11:00-22:00
入場料: 11euro

2012年10月20日土曜日

ローマオペラ座


ロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニなど、数多くの偉大なオペラ作曲家を輩出しているイタリア。
機会があれば本場の歌劇場へは是非とも足を運びたいものです。

ローマを代表するオペラ座劇場は、テルミニ駅にほど近い場所に位置し、出かけるにはとても便利な立地です。



オペラ座外観
 設立は1880年。
当時は、私財で建設したオーナーの名前をとって「コスタンツィ劇場」と名付けられました。
現在も残る天井の豪華なフレスコ画は、その当時から残るものです。

この頃はイタリアオペラの全盛期。
1900年には、ローマを物語の舞台にしたロッシーニの「トスカ」が、ここオペラ座で初演され、大成功を収めました。

又、1893年には、晩年のヴェルディの最後のオペラ作品「ファルスタッフ」が大絶賛の中、上演されます。
公演終了後の夜、79歳のヴェルディはオペラ座と背中合わせに位置するクイリナーレホテルに宿泊し、大成功の興奮冷めやまぬ団員達が深夜のホテルの窓の下でヴェルディのために演奏を行ったそうです。
当時の記録は歴史的一場面として、現在もクイリナーレホテルの外壁に書き記されています。

ホテル・クイリナーレ

 その後のファシズム政権時代には、ローマ市の所有となり、名前を「王立歌劇場」に変更されます。
劇場内の舞台上部の壁には、当時の権力者であったムッソリーニと国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世の名前が今でも刻まれています。

そして、王政崩壊後には、現在の「ローマオペラ座」の名前が定着しました。


このような激動の歴史を経たオペラ座ですが、実際訪れてみると、威圧感とは無縁のこぢんまりして落ち着いた気分で観劇を楽しめる、とてもリラックスした空間です。

客席
 客席は、全19列の平土間部分の座席を取り囲むように4層のBox席が並んでいます。
各Boxの定員は4〜6人、プライベート感を楽しめます。

サイドBox拡大

各Boxへは、それぞれ専用の木製の小さなドアを開けて入ります。
ドアの上にギリシア数字でBox番号が書いてあり、なんとなくレトロなアパート廊下のようなムードです。

Box席入口ドア

オーケストラピット

 昨日は、今シーズン最後のバレエ公演「ロミオとジュリエット」を鑑賞しました。
物語はすっかり熟知されている有名なシェイクスピアの戯曲ですが、さすが物語の本場であるイタリアだけに、演技にも臨場感があり、物語の世界に吸い込まれていきます。

オペラ座HPより。




2012年10月15日月曜日

山頂の修道院


イタリア国内には、上の写真のように、山の頂上に寄り添うように建物が立ち並ぶ小さな町が数多く存在します。
おそらく遠い昔に、下界の外敵や疫病から身を守るために、あえて不便な場所に人々が集まって出来たのではないでしょうか。

今回は、そんな町の1つにある、修道院の改装工事計画に立ち会う機会があって、通常ではなかなかお目にかかる事のできない大変貴重な物を見学する機会に恵まれました。

訪れたのは、ローマから東へ30kmほどにある山頂の町。
カーナビでは名前も表記のない地域の曲がりくねった山道をぐんぐん登っていきます。

 さすが山頂だけに、昼過ぎにも関わらず、視界は軽い霧に覆われています。
静かな町の中を進み、さらに山道を登っていくと、やっと目当ての修道院に到着です。

庭と展望テラス

 広大な敷地には、屋根付きの展望テラスがあり、夏場には地域の住民達が集まってバーベキューなどを楽しむそうです。

見渡す限り緑が続く、素晴らしい眺望には素直に感嘆してしまいます。
ローマの喧騒からわずか30キロとは信じられないような別世界が広がります。

テラスからの眺め1
テラスからの眺め2

さて、肝心の修道院建物のほうですが、築50年程度と意外に新しく、石造りの4階建てです。
 斜面に建っているため、2階部分が表玄関となります。
単色に塗られた地味な外観のため、教会であることは地元の住民しか分からないのではないでしょうか。
 
教会の入口
 現在は建物には誰も住んでおらず、毎週日曜日にローマ市内の教会本部から神父がやってきてミサを開いているそうです。
礼拝堂
 私が訪れたのは平日昼間であったため、建物は全て施錠されており、薄暗い建物を1つ1つ鍵を開けてもらって電気をつけて中に入っていき、まるで「お化け屋敷探索」のようなムードでした。

 礼拝堂の下、1階部分は住居の造りになっており、10年ほど前には管理人である老婆が1人で暮らしていたそうです。
住居部入口

かつての居間部分
かつての台所
 2〜4階部分は、各地から集まる修道士学生が宿泊できるようにと、全25室のシングルルームが並んでいます。
現在は壁と窓のみで、内装工事は完成しておらず、裸電球の下、ハエが飛び交う寂しい空間です。

計画では、全ての部屋をバスルーム設置のホテ並みのシングルルームに仕上げ、2階部分は宗教学生が暮らし、上階はホテルとして貸し出して収益を上げようと考えているそうです。

修道院経営の質素なホテル、下界の喧騒を忘れてひと夏をのんびり過ごすにも良いかもしれません。

宿泊棟外観
将来の客室1

将来の客室2


2012年9月22日土曜日

Fori Imperiali (皇帝達のフォーラム)


ローマの夏は意外に早々と終わり、9月に入ると穏やかな秋晴れが続き、遺跡散策には最適のシーズンです。
今回ご紹介する「Fori Imperiali」は、古代ローマ時代を知るために大変重要、かつ無料で見学を楽しめるスポットです。

Fori imperialiのあるエリアは、現在のベネツィア広場からコロッセオの間に位置し、古代ローマ帝国の発祥の地であるパラティーノの丘、そして当時の政治の中心であったフォロ・ロマーノに隣接しています。
ローマ帝国の拡大につれて、既存のフォロ・ロマーノだけでは手狭になったため、紀元前1世紀にユリウス・カエサル(又はジュリアス・シーザー)により建設が始まり、その後の皇帝達もこの地にフォーラムを建設しています。

「フォーラム」とは、直訳すると「集会場」のような意味で、ローマ市民の活動の中心地として、学校、商店、図書館、食料配給所などがあり、常に人々の活気で賑わっていました。

各皇帝のフォーラムを時代を追って散策していきます。

 【カエサルのフォーラム】

紀元前46年に完成。
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の裏手に位置します。
 現在残っているのは、ヴィーナス神殿の基壇の円柱3本とその手前の列柱のみです。

カエサルのフォーラム
 【アウグストゥスのフォーラム】

紀元前42年に完成。
カエサルのフォーラムから道路を挟んで向かいに位置します。
軍神マルスの神殿とその列柱が残っており、訪れる者を圧倒するほどの当時の巨大な神殿の姿が想像できます。
背後の斜面を区切るための石壁は今も健在です。

アウグストゥスのフォーラム

 遺跡の周りに建物の一部と思われる石片が無造作の転がっているのは、ローマではお馴染みの光景です。
想像力と技術を駆使して、断片を繋ぎあわせて建物を再現する、ということは行われないようです。


【ネルヴァのフォーラム】

紀元後98年に完成。
良政を行ったとして後世にも評判の良い皇帝ですが、治世が2年弱と短かったため、公共建設はほとんど残していません。
このフォーラムは、前任の皇帝が着工した物を引き継いで完成させました。
女性の労働を賛美したレリーフと2本の円柱のみ残っており、ここにあったミネルヴァ神殿は現在は残っていません。
ネルヴァのフォーラム
 【トラヤヌスのフォーラム】

紀元後113年に完成。
Fori Impiriali の中では最新で、最も保存状態が良く、背後に広がる「トラヤヌスのマーケット」は入場料を払って内部見学を楽しめます。
トラヤヌスのマーケット
半円形の大型施設の中には、商店や小麦配給所、学校などが入っており、当時は一般市民の集う「ショッピングセンター」の原型のような物だったのではと想像されます。
建物上部には、中世以降に増築された住宅が乗っかっており、現在も活用されています。

トラヤヌス記念柱
このフォーラムの中心的存在である、「トラヤヌス記念柱」も見逃せぬモニュメントです。
高さは約30m,下部に入口があり、螺旋階段を登って展望台へ上がれる仕組みになっています。(現在は閉鎖)
柱に描かれているレリーフは、トラヤヌスの最大功績であるダキア地方(現ルーマニア)との戦争のストーリーが、下から上へ向かって螺旋状に物語を進めています。
イラストによって戦記を説明するアイディアは興味深く、後世にも研究が進められ、ローマではエウルにある文明博物館の特別室にて物語の詳細を説明する展示を見ることができます。
(場面ごとに160分割したレプリカに丁寧な説明文が加えられ、細長い展示室を2往復しながら読み進んでいくようになっており、これを作った人はすごい!と思わず圧倒されます。)

柱内部への入口
ダキア戦争はローマ軍の勝利に終わり、原住民は土地を追われ、ローマ人を植民することによりローマ帝国に組み込まれます。
ラテン語を母体とする現在のイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語は文法や単語に共通点が多く、お互いの意思疎通はほぼ可能と言われていますが、これらに加え、地理的には少々離れたルーマニアの言葉もラテン語を母体にしているのは、この戦後の植民によるためと言われています。

                   ※

古代ローマの中心であったこのエリアは、今でも未発掘の重大な遺跡が多数眠っていると言われていますが、中世までは全く重要視されておらず、キリスト教の大聖堂などの建設材料に転用するための採石場として、価値ある物は次々と運び去られてしまいました。

そして、更に、イタリア国統一が達成された1861年には、このエリアを縦断する形で「ヴィットリオ・エマヌーエレ2世記念堂」、そして記念軍事パレードの舞台として、コロッセオへ通じる「フォリ・インペリアーリ通り」が建設されました。
 ついに全土統一を達成した暁に、古代ローマ帝国の中心部の上に後世に残る立派な建造物を建てようという当時に気概は充分に感じられますが、今となっては現在の街の形を取り壊してまでの発掘調査を進めることは不可能となり、考古学的には残念な現状のようです。

Fori Imperiali通り

Vittorio Emanuele2世紀念堂