2012年8月14日火曜日

古代ローマの賃貸アパート

場所はヴェネツィア広場。
白亜のヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂とカピトリーニ美術館へ続く大階段の間に、なんとも地味に佇む遺跡があります。

 以前からずっと気になっていたのですが、場所柄、常に土産物の屋台や軽食を売るバンなどが遺跡の前を占拠していて、なかなか近づく機会がありませんでした。
ですが、今日は意を決して、屋台の裏に入り込み、じっくり観察してみました。

案内板
 まずは、遺跡を説明する看板が目に入ります。

この建物は、「Insula dell'Ara Coeli」といい、紀元後2世紀頃に建設された古代ローマの典型的な共同住宅とのこと。
長らく地中に埋まっており、完全に発掘されたのは1930年代だそうです。

道路面から見下ろす。
建物は4階建てになっており、地上階部分は、現在の道路面よりも7メートルほど下になります。

フレスコ画
12世紀には教会として使用されていたこともあり、その当時の名残で3階部分の壁にはキリストの絵が描かれています。

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この遺跡の名称にある「Insula」とは、古代ローマの多層式共同住宅のこと。
都市に人口が集中するようになって、地価の高騰により一戸建てを所有するのが難しくなった中流や下層階級の人々のための住居として発明(?)されたシステムです。

通常は1階部分は食堂や店舗、2階には店舗の倉庫などが入り、3階以上が賃貸アパートとして利用されていました。
上階へ行くほど部屋は狭く区切られ、賃貸料も安かったのは、昇り降りの不便さ、そして火事の際に避難が困難という理由からでした。


Insula想像図
 現代の賃貸アパートの発祥が、2千年も昔にローマであったとは驚きです。
 更に、古代ローマでは冬の寒さを防ぐために、紀元後1世紀から床暖房システム(床下に温湯パイプを巡らせる)が開発されていたとのこと。
さすがに電気はまだ無かったので、照明は炎に頼るしかなかったようですが。

はるか昔に思われる古代の生活も、世界の中心といわれたローマでは、現代人の生活と比べて、そう遠くかけ離れたものではなかったのかもしれません。

模型(ローマ文明博物館所蔵)