2012年9月22日土曜日

Fori Imperiali (皇帝達のフォーラム)


ローマの夏は意外に早々と終わり、9月に入ると穏やかな秋晴れが続き、遺跡散策には最適のシーズンです。
今回ご紹介する「Fori Imperiali」は、古代ローマ時代を知るために大変重要、かつ無料で見学を楽しめるスポットです。

Fori imperialiのあるエリアは、現在のベネツィア広場からコロッセオの間に位置し、古代ローマ帝国の発祥の地であるパラティーノの丘、そして当時の政治の中心であったフォロ・ロマーノに隣接しています。
ローマ帝国の拡大につれて、既存のフォロ・ロマーノだけでは手狭になったため、紀元前1世紀にユリウス・カエサル(又はジュリアス・シーザー)により建設が始まり、その後の皇帝達もこの地にフォーラムを建設しています。

「フォーラム」とは、直訳すると「集会場」のような意味で、ローマ市民の活動の中心地として、学校、商店、図書館、食料配給所などがあり、常に人々の活気で賑わっていました。

各皇帝のフォーラムを時代を追って散策していきます。

 【カエサルのフォーラム】

紀元前46年に完成。
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の裏手に位置します。
 現在残っているのは、ヴィーナス神殿の基壇の円柱3本とその手前の列柱のみです。

カエサルのフォーラム
 【アウグストゥスのフォーラム】

紀元前42年に完成。
カエサルのフォーラムから道路を挟んで向かいに位置します。
軍神マルスの神殿とその列柱が残っており、訪れる者を圧倒するほどの当時の巨大な神殿の姿が想像できます。
背後の斜面を区切るための石壁は今も健在です。

アウグストゥスのフォーラム

 遺跡の周りに建物の一部と思われる石片が無造作の転がっているのは、ローマではお馴染みの光景です。
想像力と技術を駆使して、断片を繋ぎあわせて建物を再現する、ということは行われないようです。


【ネルヴァのフォーラム】

紀元後98年に完成。
良政を行ったとして後世にも評判の良い皇帝ですが、治世が2年弱と短かったため、公共建設はほとんど残していません。
このフォーラムは、前任の皇帝が着工した物を引き継いで完成させました。
女性の労働を賛美したレリーフと2本の円柱のみ残っており、ここにあったミネルヴァ神殿は現在は残っていません。
ネルヴァのフォーラム
 【トラヤヌスのフォーラム】

紀元後113年に完成。
Fori Impiriali の中では最新で、最も保存状態が良く、背後に広がる「トラヤヌスのマーケット」は入場料を払って内部見学を楽しめます。
トラヤヌスのマーケット
半円形の大型施設の中には、商店や小麦配給所、学校などが入っており、当時は一般市民の集う「ショッピングセンター」の原型のような物だったのではと想像されます。
建物上部には、中世以降に増築された住宅が乗っかっており、現在も活用されています。

トラヤヌス記念柱
このフォーラムの中心的存在である、「トラヤヌス記念柱」も見逃せぬモニュメントです。
高さは約30m,下部に入口があり、螺旋階段を登って展望台へ上がれる仕組みになっています。(現在は閉鎖)
柱に描かれているレリーフは、トラヤヌスの最大功績であるダキア地方(現ルーマニア)との戦争のストーリーが、下から上へ向かって螺旋状に物語を進めています。
イラストによって戦記を説明するアイディアは興味深く、後世にも研究が進められ、ローマではエウルにある文明博物館の特別室にて物語の詳細を説明する展示を見ることができます。
(場面ごとに160分割したレプリカに丁寧な説明文が加えられ、細長い展示室を2往復しながら読み進んでいくようになっており、これを作った人はすごい!と思わず圧倒されます。)

柱内部への入口
ダキア戦争はローマ軍の勝利に終わり、原住民は土地を追われ、ローマ人を植民することによりローマ帝国に組み込まれます。
ラテン語を母体とする現在のイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語は文法や単語に共通点が多く、お互いの意思疎通はほぼ可能と言われていますが、これらに加え、地理的には少々離れたルーマニアの言葉もラテン語を母体にしているのは、この戦後の植民によるためと言われています。

                   ※

古代ローマの中心であったこのエリアは、今でも未発掘の重大な遺跡が多数眠っていると言われていますが、中世までは全く重要視されておらず、キリスト教の大聖堂などの建設材料に転用するための採石場として、価値ある物は次々と運び去られてしまいました。

そして、更に、イタリア国統一が達成された1861年には、このエリアを縦断する形で「ヴィットリオ・エマヌーエレ2世記念堂」、そして記念軍事パレードの舞台として、コロッセオへ通じる「フォリ・インペリアーリ通り」が建設されました。
 ついに全土統一を達成した暁に、古代ローマ帝国の中心部の上に後世に残る立派な建造物を建てようという当時に気概は充分に感じられますが、今となっては現在の街の形を取り壊してまでの発掘調査を進めることは不可能となり、考古学的には残念な現状のようです。

Fori Imperiali通り

Vittorio Emanuele2世紀念堂